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オリーブの木 No.42

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聖誕教会、ご降誕の洞窟の「ベツレヘムの星」
ここでイエス様がお生まれになったという。
羊飼いの野教会の壁画(ベツレヘム)


 
 間近に迫るクリスマスと新年。時の流れを実感する季節となりました。
それにしても中東和平問題は、何年経っても解決の気配がありません。「中東の春」と呼ばれる今年に入ってからのアラブ諸国でのいろいろな動き、パレスチナが「国家」として国連やユネスコに加入を申請し、これに対して態度をさらに硬化させたイスラエル政府。
 
 「民主化」という希望と同時に大きなリスクをはらんだ政治的なうねりの中で、平和を願う一般市民は翻弄されています。とくに子どもたちの未来は、夢は、希望はどうなるのでしょうか? 教育支援活動の大切さをあらためて思い起こしております。
 
 皆様のご支援に感謝しながら、新しい年のご多幸をお祈り申し上げます。
 
 井上 弘子 スタッフ一同
 
 

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 親愛なる日本の皆様

  毎年のようにクリスマスが近づいてまいりました。心からのご降誕のお喜びを申し上げます。この機会に、聖地に対する皆様の日頃からのご支援に対し、感謝の意をお伝えすることができることを、大変光栄に存じます。

 この数ヶ月の間、中東に再び世界中の目が集中しております。それは、ご存じのように、このところずっと新聞の一面をにぎわせている大変革があったからです。この地域の人々にとって、この出来事は、新たな展望を開き、大きな希望を抱かせるものですが、同時にまだ不安や不確定要素もあり、挑戦も続けなければなりません。

 将来どのようなことがこの地に起こるのか、予測することは以前にもまして困難です。何よりもこの地に「善」の力が支配するようにと祈る必要を感じます。また、すべての人が平和のうちに共存できるような土台作りを目指して、一人ひとりが、自分の置かれた場で、自分のやり方で働かなければなりません。

 もちろん、そのためには教育が決定的な役割を果たすことになります。だからこそ私たちは、社会的にハンディを持つパレスチナの子供のために、さらに意欲的に取り組んでいきたいと思っています。

 ご存じのように、このような仕事には障害がないわけではありません。障害とは「壁」のことです。それは人々が互いに憎しみを持ち続け、距離をおいてしまうような壁、コンクリートで固められた人々の心にある見えない壁です。また障害とは、いまだに多くの家族を苦しめている「貧困」です。

 そして今でも教育だけが、貧しさと暴力の悪循環から逃れる機会を与え、平和へのチャンスを与えるものとなるのです。

 私たちは、奨学金制度を通して、毎年数百名の児童を、健全でオープンな環境の中で教育を受けられる学校へ通わせることができます。そこでは子どもたちは正義と平和、他者への尊敬と理解などの価値観のうちに育まれています。これも日本の皆様方の絶え間ない温かいご支援のおかげと、心から感謝しております。

 状況の複雑さや問題の大きさを前に、われわれのしていることは、取るに足らないことだと言われることかもしれません。確かにそうです。大海の一滴ともいえる非常に限られた支援です。それでもこれが、今私たちにできることであり、社会のためにキリストが私たちに具体的な形で示された愛を実行に移すために、目の前に置かれているこの人々に奉仕できる形なのです。確かに限られた支援ではありますが、多くの人々の協力と奉仕によって、このやり方を継続していくことで、いつの日かこの地の人々の状況が変えられることを望んでいます。

 このようにわたしの心の思いを打ち明けることで、皆様のご理解を得、身近なことと感じていただければ嬉しく思います。また今回の震災の際、国民的規模での試練を受けられ日本の皆様は、人々の痛みや必要性を痛切に感じられておられることでしょう。

 クリスマスは子供にとってのお祝いです。それは「いのち」の祝いでもあります。すべてのいのちは、十分に愛され、元気に成長するための条件を見いだすための権利を持っているからです。多くの子どもたちがこのような権利を受けられるよう、尽力していこうではありませんか!

 あらためて、クリスマスおめでとうございます。

聖地におけるカトリック学校・学院のための連帯事務局
事務局長 クラウディオ・マイナ


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パレスチナの「国家」樹立への模索とユネスコ加盟
 この数ヶ月、中東各国では「アラブの春」といわれる民主化を求める様々な形の動きが見られ、激動の時を迎えている。そんな中でパレスチナも9月には国連へ、10月にはユネスコへ加盟申請を出した。パレスチナとしては、「国家」として、世界各国から承認されることが、独立への大きな一歩であり、長年の悲願でもあるからだ。
 
 だがそれは、大きな微妙な外交問題となったのである。大半の国々はパレスチナの国連加盟を歓迎しているが、アメリカはそうはいかない。イスラエルとの関係から、国連の安全保障理事会で拒否権を行使せざるを得なくなるだろう。しかしそうなれば、中東諸国の信頼を失い、孤立化しかねない。そこでイギリス、フランス両国は、アメリカを追い詰めないためにも、パレスチナをバチカンと同じ「非加盟のオブザーバー国家」として承認することが可能かどうか、模索を続けていた。その一方で両国は、パレスチナに対し、イスラエルとの「2国家平和共存」を達成するには、正式な国連加盟申請を取り下げ、和平交渉のt-ぶるに戻ることが必要だ、と説得を試みた。
 
 その間に、パレスチナは今度はユネスコに正式加盟を申請し、10月31日、ユネスコの総会(パリ)で圧倒的な賛成多数で可決された。中国やロシア、フランスやイギリスなど107カ国が賛成、アメリカなど14カ国が反対、日本など52カ国が棄権した。アメリカは、この決定に反対し、ユネスコへの分担金拠出を凍結してしまった。
 
 そして当然イスラエル政府は、この一連のパレスチナの動きにさらに態度を硬化させてしまったのである。入植地での住宅建設やパレスチナ人の住宅破壊を加速させ、またパレスチナのロケット砲に対する報復として、ガザへの軍事攻撃を強めている。
 
 これには後日談がある。オバマ大統領は11月初旬、南仏のカンヌで開催されたG20で、サルコジ大統領と会談した際、フランスがユネスコの総会で、パレスチナ正式加盟に賛成票を投じたことに抗議したということだ。この承認の採択によって、アメリカが分担金拠出を拒否せざるを得なくなったからだという。これは先日(11月13日)、ホノルルのアジア太平洋経済協力会議(APEC)閉幕後の記者会見でオバマ大統領が明らかにしたことだ。
 
 ところがカンヌでの会談後の立ち話で、両首脳ともイスラエルのネタニヤフ首相の「悪口」を言っていたことが、外部にばれてしまった! ロイター通信によれば、サルコジ大統領は、「ネタニヤフには我慢ができない! 彼は嘘つきだ!」とつぶやくと、オバマ大統領も「あなたはうんざりしているかもしれないが、私はもっと頻繁に彼とつきあわなければならないんだ!」と応酬したとか。世界の首脳も裏では苦労があるものだ! つい胸の内を明かし合った両首脳のこの言葉は、困ったことに、マイクを消し忘れていたのに気付かず、外に漏れてしまったという。
 後で、サルコジ大統領は、ネタニヤフ首相に手紙を出し、「たとえ政治的立場は違っても、あなたとの友情は変わらない」と弁明したとか!
 
  パレスチナはユネスコ加盟が正式に承認されたおかげで、領土内にあるいろいろな「宝物」の世界遺産登録申請が可能になった。現在申請を検討している主なものは、次の通りである。
 
 ・ベツレヘムの町と聖誕教会
 ・ヘブロン(世界最古の都市の一つ)とマクペラの族長(アブラハム・イサク・ヤコブ)の墓
 ・エリコ(世界最古の都市の一つ)のテル・エッスルタン(考古学的遺跡)
 ・死海と死海文書が発見されたクムラン
 
 歴史的にも文化的にも価値の高いこれらの都市や遺跡が世界遺産として登録されれば、将来パレスチナの人々が、イスラエルや近隣の国々とともに、平和と繁栄の道を切り開くのに大いに役立つだろう。
 
井上 弘子

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引き裂かれる家族 東エルサレムでの家族の統一と子供の登録について
 1967年以来、占領地区の住民(=パレスチナ人)と結婚したイスラエル市民と住民(=東エルサレムに住むパレスチナ人)※注は、内務省に申請すればその配偶者にイスラエル住民としての法的身分を持たせることができた。内務省は、長期にわたる審査が必要だとしても、ほとんどの場合、夫婦が共にイスラエルに住むことを認めていたのである。
 
 ところが、2002年5月、突然イスラエル政府はこの申請の受理を凍結してしまった。そして、2003年7月31日、この凍結を「国籍及びイスラエル入国(暫定)法、5763-2003」として制度化したのである。この法令は、占領地区の住民とすでに結婚している、あるいはこれから結婚するイスラエル市民が、配偶者と共にイスラエル国内に住むことを禁じている。また、それは占領地区で生まれた東エルサレムの住民の子供たちをも圧迫し、子供たちがイスラエル住民として登録されていることを禁じている。本法令の有効期間は一年だったが、国会の承認があれば延期できる権限を政府に与えている。実際、2004年7月18日には、2005年2月5日まで延期された。
 
 この法令は、何万もの人々・イスラエル市民と住民、および占領地区住民の家族生活を深刻に脅かすことになった。占領地区住民と結婚したイスラエル市民は、自分の配偶者と一緒に住めなくなってしまった。あえて法を犯して一緒にイスラエル(東エルサレムを含む)に住むことを選べば、夫婦は普通の生活はできず、逮捕を恐れる日々となってしまうのだ。また二人が占領地区に住むことに決めれば、イスラエル人の配偶者は特別許可を得ない限り違法者と見なされてしまう。イスラエル人がヨルダン川西岸地区やガザ地区に入ることは、軍によって禁じられているからである。
 
 この法令の施行以前に結婚した夫婦は、占領地区出身の配偶者がイスラエルにおける法的身分をまだ持たない場合、もし住民でない方の配偶者が行政に申請して暫定許可を手に入れるならば、一緒に住むことが許されるという。しかし許可はなかなか下りず、しかもイスラエルは頻繁にその許可を取り消している。
 
 イスラエルの言い分は、この法令は占領地区の住民の入国が、イスラエル市民を脅かすという一面も含めて、安全上の理由から必要だというのだ。この主張には根拠がなく、イスラエルは、真の理由を隠蔽するために、最近になって言い出されたものに過ぎないのだ。それは、国家のユダヤ性を保つため、アラブ人の人口増加を何とかし食い止めたいという理由である。法令の理由づけとして、 人口バランスなどを挙げることを避けようとする政府の姿勢は、とりもなおさずその理由づけ自体、民族差別的で違法であり、法的審査に耐えられないと、政府自ら認識しているからに他ならない。
 
 イスラエル人権協会、ADALAH(イスラエルのアラブ少数民族人権保護協会)、国会議員、および本法令に虐げられているカップルたちが高等裁判所に申し立て、本法令無効の判定を求めた。
 
 B'Tselemもまた、イスラエル政府にはその方針を変え、全ての市民と住民を平等に扱うよう、さらに国会には本法の延期を認めないよう迫っている。内務省は家族の統一と子供の登録についての申請受理をただちに再開すべきであり、個々の要望が生かされる方向で配慮すべきである。さらにイスラエルの住民と市民が希望通り結婚する権利、配偶者や子供たちが自由にイスラエルに住む権利を認めることを要求する。
 
B'Tselemのホームページから(転載許可を得ています)
http://www.btselem.org/topic/family_separation
 
◇編集部注:
※(イスラエル)市民:イスラエル国籍を持つ者(ユダヤ人とアラブ人)
※(エルサレム)住民:イスラエルに併合されている東エルサレムなどに住むパレスチナ人で、イスラエル国籍ではなく、単に住民としての身分を持つ者
 
B'Tselem:
1989年に設立されたイスラエルの人権団体の一つ。パレスチナ占領地区に於ける人権侵害を告発し、イスラエルにおける人権尊重の世論形成に貢献している。団体名の直訳は「似姿にかたどって」。人間の宣言を意味しており、創世記1,27 「神はご自分にかたどって人を創造された」から来る。
 
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分離の壁に囲まれて 祖国のない民:パレスチナからの声
アルレット・アナスタス
 
 私、アルレットと夫のジョージはベツレヘム出身のパレスチナ人で、キリスト教徒です。娘が3人、息子が1人おります。家は道を挟んで「ラケルの墓」(注)の真ん前にあり、三方を9mの壁に囲まれています。通りに面した1階で店を開いていました。インティファーダが始まるまでは、この辺りはベツレヘムで最も賑やかな活気に溢れた地域でした。ここは中心部へと続く、町の入り口になるので、町中の人々はこの商店街へ買い物に来ていたものでした。今では軍事地域になってしまい、街は寂れ、人気のない恐ろしい場所になっています。店を閉めていなければならず、ビジネスプランも立てられません。
 
 回りには隣人もおらず、9mの壁に囲まれ、生きながら闇に葬られたような気持ちで暮らしてきました。
 
 第二次インティファーダの数年間は、私たちは大きなストレスにさらされました。特に2002年には多くの銃撃戦や衝突がありました。我が家は高台にあり地の利がよいため、イスラエル軍に占領され陣地となりました。
 
 銃撃が始まれば、あらゆる方向から銃弾が家の中まで飛び込んできて、どこに隠れればいいのか、何をすべきか、どこに逃げればいいのか、まったくわかりませんでした。こんな状況が丸一年も続き、子供たちは恐怖のあまり、心に大きな傷を負いました。子供たちは外出を恐れ、壁に目をやることもしません。
 
 三方を9mの壁に囲まれて暮らすのは、耐え難いものです。私が一番つらく感じるのは、家も家族も守ることができなかったことです。無力感と、「巨大な壁」の悪影響に押しつぶされそうでした。生活も仕事もうまくいかなくなりました。
 
 この壁はたった一日で造られました。ある日、私は朝早く6時に検問所を通りエルサレムへ行き、夕方帰って仰天しました。目の前に大きくて恐ろしい壁が聳えていました。私は泣き出して、夫に「いったいどうしたの?」と尋ねたことを覚えています。夫は「工事に来た男たちは早急に仕上げるために必死で働いていた」と言いました。
 
 長女のアマンダは、14歳のときにできたこの壁で、自分の人生はぶち壊されたと感じています。いろんな夢があったのに、外へと通じるドアを見つけられなかったと。今も、この巨大で醜い壁に押し潰されて鬱状態でいます。下の娘も、この壁ができて以来、家族にどれほどのダメージを与えたかをはっきりと覚えており、今も、どこにも希望も喜びも見いだせないといいます。学校を卒業しても、将来への道は見えず、不安だらけでいます。
 
 しかし、私たちは、どんなにこの壁が高くても、このベツレヘムの町を愛し、家族を愛し続けます。この壁のために愛する故郷を捨てることは決してありません。ここは私たちの町であり、イエス様がお生まれになった町なのです。だからここに住んでいる私たちは幸せです。ここには壁ではなく、平和と愛を建設すべきなのです。
 
 今私は、いろいろな苦しみの体験を超えて、子どもたちの将来を考え、オンラインビジネスを始めることにしました。それは赤ちゃんの洗礼着を作り、インターネットを使って世界中のクリスチャンに買ってもらうことです。もうすでに何人かの人が、「この洗礼着は素晴らしい、主イエスがお生まれになったベツレヘムで作られたものだから」と言ってくれました。
 
 ですからお分かりのように、私は希望を棄てていません。大変な状況の中でショックを受け、打ちのめされていた時も、怒りをぶつけていた時もありました。しかし今では、私は、将来を守るためにより良い方法で働き始めたのです。
 
 
◇編集部注:
「ラケルの墓」:ベツレヘムの入り口にあるユダヤ人の巡礼地。ユダヤ人が安全に巡礼に来ることができるように、巨大な壁が張り巡らされている。ラケルは、旧約聖書の族長の一人ヤコブの妻。
 
 
  
042_p07.jpgのサムネール画像 
 
 
 
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(2011年12月 2日 19:23)