オリーブの木 No.40
お遊戯中の小さな子どもたち。教皇庁立「エフェタ」パウロ6世学院にて。
この度、東日本大震災で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。また犠牲になられた方々の永遠の安息をお祈り申し上げます。
3月16日から《平和を願う対話の旅》、日本の若者とともにイスラエル・パレスチナへ行ってまいりました。その際出会った現地のすべての方々から、この壊滅的な被害と計り知れない苦しみに対して心からの言葉をかけられ、感激しました。《人の心の温かさ》はどこでも同じですね。
この大震災を受けて、秋に予定していたプロジェクトの時期と内容を変更し、8月中旬にイスラエル・パレスチナ・日本の若者のグループをボランティアとして派遣し、被災者のお手伝いをさせていただくことになりました。彼らの「平和の働き人」としての心を育む素晴らしい機会にもなると思います。
皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
3月16日から《平和を願う対話の旅》、日本の若者とともにイスラエル・パレスチナへ行ってまいりました。その際出会った現地のすべての方々から、この壊滅的な被害と計り知れない苦しみに対して心からの言葉をかけられ、感激しました。《人の心の温かさ》はどこでも同じですね。
この大震災を受けて、秋に予定していたプロジェクトの時期と内容を変更し、8月中旬にイスラエル・パレスチナ・日本の若者のグループをボランティアとして派遣し、被災者のお手伝いをさせていただくことになりました。彼らの「平和の働き人」としての心を育む素晴らしい機会にもなると思います。
皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
井上 弘子 スタッフ一同
エルサレム、学校学院のための連帯事務局長より、激励のお言葉
エルサレム、学校学院のための連帯事務局長より、激励のお言葉をいただきました。皆様からの支援金は連帯事務局を通じて、各教育機関に配られています。
親愛なる支援者の皆様
毎年復活祭に当たって、連帯事務局長が皆様にごあいさつを申し上げるのが習わしですが、今年も皆様おひとりお一人、またご家族の方々に、聖地のための日頃からの惜しみないご支援を心から感謝申し上げるとともに、ご復活の恵みが豊かにあるようにお祈りいたします。
しかし私は今回、お分かりのように特別な想いと意向を持ってこのメッセージを書いております。現に私たちは世界中の人々と同じように、毎日皆様の愛する国から届くニュースを注意深く見守り、皆様の身を案じております。
皆様を襲った大震災と大津波の壊滅的な映像に私たちは皆、大きなショックを受けました。私は、エルサレムの教皇使節、アントニオ・フランコ大司教の名において、また聖地で直接的、間接的に、皆様の寛大さの恩恵を受け、心から感謝しているすべての家族の名において、心からのお見舞いを申し上げます。そしてすべてを破壊され、愛するものをも失って大変な苦しみに直面していらっしゃる皆様に対し、たとえ遠く離れていても誠心誠意応援していることをお伝えしたいと思います。
私たちの心は、この大きな苦しみと不安の中にいらっしゃる皆様とともにあります。皆様のために、聖墳墓教会で祈りを捧げます。空の墓、それは復活のしるし、いのちが死に打ち勝つ保証です。どんな困難の時にも、私たちはこのような信頼を新たにして希望を生き生きと保ち、私たちと触れあうすべての人々に伝えていきたいと思います。もう一つお伝えしたいことがあります。それはこのような状況においても、心の強さと尊厳を持って生き抜こうとしていらっしゃる日本人の皆様の姿は、私たちにとって大きな模範であり、皆様の文化のすばらしさを私たちに分からせてくれるものだということです。皆様が私たちに示して下さっている驚くべき証しに心から感謝いたします。
神様に、犠牲になられた方々を天国に導き入れ、生き残られた方々を慰め、すべての危険から守って下さることを祈りながら、皆様に心からの復活のごあいさつをお送りします。
しかし私は今回、お分かりのように特別な想いと意向を持ってこのメッセージを書いております。現に私たちは世界中の人々と同じように、毎日皆様の愛する国から届くニュースを注意深く見守り、皆様の身を案じております。
皆様を襲った大震災と大津波の壊滅的な映像に私たちは皆、大きなショックを受けました。私は、エルサレムの教皇使節、アントニオ・フランコ大司教の名において、また聖地で直接的、間接的に、皆様の寛大さの恩恵を受け、心から感謝しているすべての家族の名において、心からのお見舞いを申し上げます。そしてすべてを破壊され、愛するものをも失って大変な苦しみに直面していらっしゃる皆様に対し、たとえ遠く離れていても誠心誠意応援していることをお伝えしたいと思います。
私たちの心は、この大きな苦しみと不安の中にいらっしゃる皆様とともにあります。皆様のために、聖墳墓教会で祈りを捧げます。空の墓、それは復活のしるし、いのちが死に打ち勝つ保証です。どんな困難の時にも、私たちはこのような信頼を新たにして希望を生き生きと保ち、私たちと触れあうすべての人々に伝えていきたいと思います。もう一つお伝えしたいことがあります。それはこのような状況においても、心の強さと尊厳を持って生き抜こうとしていらっしゃる日本人の皆様の姿は、私たちにとって大きな模範であり、皆様の文化のすばらしさを私たちに分からせてくれるものだということです。皆様が私たちに示して下さっている驚くべき証しに心から感謝いたします。
神様に、犠牲になられた方々を天国に導き入れ、生き残られた方々を慰め、すべての危険から守って下さることを祈りながら、皆様に心からの復活のごあいさつをお送りします。
クラウディオ・マイナ
エルサレム、学校学院のための連帯事務局
事務局長
エルサレム、学校学院のための連帯事務局
事務局長
イスラエル・パレスチナ スタディーツアー 平和を願う対話の旅
横山雄一(当会スタッフ)
平和を自らの問題としたい。そんな想いを抱いた面々が集まった。事前研修を通してイスラエル・パレスチナについて勉強するとともに、平和について自分の考えを見つめなおした。そして、3月16日。大震災の影響に苦しむ人々を思い、後ろ髪をひかれながら日本を飛びたった。
3月16日から27日にかけてイスラエル・パレスチナを訪れ、平和を考えるための「平和を願う対話の旅」を実施した。大人7人、学生9人の総勢16人がエルサレム、ベツレヘム、死海、ガリラヤ湖、そしてテルアビブを訪れた。
様々な場所を訪れた。たとえば、嘆きの壁、聖誕教会、マサダ遺跡、死海、クムラン遺跡、ガリラヤ湖などの場所では、イスラエル・パレスチナがどういう歴史を持った土地なのか、肌で感じることができた。分離の壁がそびえるそばの幼稚園のあるコンボニアン修道院や、聴覚障害を持つ子どもたちのための施設エフェタ、平和と和解の基盤作りのために様々な活動を行うペレス・ピースセンターなどを訪れ、紛争がこの地に及ぼしている影響と、紛争の解決のために人々がいかに活動しているかを知った。
かの地に生きる個性あふれる人々にも強い印象を覚えた。様々な人と出会い様々に話をしていくなかで、私たちは「紛争地」に生きる人々と友達になった。
エルサレムでは過去のプロジェクト参加者と会い、プロジェクト参加前後で相手の民族についてどう考えるようになったか、変化を聞いた。紛争で家族を亡くしたイスラエル人のラミさんとパレスチナ人のミスクさんのお話を伺い、人間として平和を求める彼らの姿に接した。
ベツレヘム大学で学生と話し、ベツレヘム大学の様子を聞いた。テルアビブでも過去のプロジェクト参加者が集い、平和について思いをぶつけ合った。各地で学生はホームステイで歓待を受け、ホストファミリーと温かい時間を過ごした。彼らは皆、それぞれの形で紛争の傷を抱え、それぞれの形で紛争に立ち向かっていた。自分たちの苦しみをおいて日本の大災害に思いを致し、「日本のことを祈っています」と言ってくれる皆の思いやりが、とてもやさしかった。
旅行前に「平和」について考えていたことがあったのだが、イスラエル・パレスチナの地を知り、人々と触れあっていくなかで、私たちは「平和」が何なのか、だんだん分からなくなってきた。迷うこと、悩むことだらけだった。
それでも、私たちはこの12日間の旅の中で「平和」を考える手がかりをたくさん得て帰ってきたように思う。そのヒントをくれたのは、愛する仲間たちだ。
以下、参加学生の感想を短く紹介する。
平和を自らの問題としたい。そんな想いを抱いた面々が集まった。事前研修を通してイスラエル・パレスチナについて勉強するとともに、平和について自分の考えを見つめなおした。そして、3月16日。大震災の影響に苦しむ人々を思い、後ろ髪をひかれながら日本を飛びたった。
3月16日から27日にかけてイスラエル・パレスチナを訪れ、平和を考えるための「平和を願う対話の旅」を実施した。大人7人、学生9人の総勢16人がエルサレム、ベツレヘム、死海、ガリラヤ湖、そしてテルアビブを訪れた。
様々な場所を訪れた。たとえば、嘆きの壁、聖誕教会、マサダ遺跡、死海、クムラン遺跡、ガリラヤ湖などの場所では、イスラエル・パレスチナがどういう歴史を持った土地なのか、肌で感じることができた。分離の壁がそびえるそばの幼稚園のあるコンボニアン修道院や、聴覚障害を持つ子どもたちのための施設エフェタ、平和と和解の基盤作りのために様々な活動を行うペレス・ピースセンターなどを訪れ、紛争がこの地に及ぼしている影響と、紛争の解決のために人々がいかに活動しているかを知った。
かの地に生きる個性あふれる人々にも強い印象を覚えた。様々な人と出会い様々に話をしていくなかで、私たちは「紛争地」に生きる人々と友達になった。
エルサレムでは過去のプロジェクト参加者と会い、プロジェクト参加前後で相手の民族についてどう考えるようになったか、変化を聞いた。紛争で家族を亡くしたイスラエル人のラミさんとパレスチナ人のミスクさんのお話を伺い、人間として平和を求める彼らの姿に接した。
ベツレヘム大学で学生と話し、ベツレヘム大学の様子を聞いた。テルアビブでも過去のプロジェクト参加者が集い、平和について思いをぶつけ合った。各地で学生はホームステイで歓待を受け、ホストファミリーと温かい時間を過ごした。彼らは皆、それぞれの形で紛争の傷を抱え、それぞれの形で紛争に立ち向かっていた。自分たちの苦しみをおいて日本の大災害に思いを致し、「日本のことを祈っています」と言ってくれる皆の思いやりが、とてもやさしかった。
旅行前に「平和」について考えていたことがあったのだが、イスラエル・パレスチナの地を知り、人々と触れあっていくなかで、私たちは「平和」が何なのか、だんだん分からなくなってきた。迷うこと、悩むことだらけだった。
それでも、私たちはこの12日間の旅の中で「平和」を考える手がかりをたくさん得て帰ってきたように思う。そのヒントをくれたのは、愛する仲間たちだ。
以下、参加学生の感想を短く紹介する。
■恩地明日香
このスタディー・ツアーに参加する前、私は日本人がイスラエルとパレスチナを繋ぐかけはしとなれれば...と思っていた。(略)しかし気づかされたのは、私も人間で感情があるということ、そして知識不足であるということだった。(略)悔しさがあったが、お互いの生の意見を聞けたこと、(略)私が彼らのことを理解しようとしたことは私にとって実りあるものだと思う。
このスタディー・ツアーに参加する前、私は日本人がイスラエルとパレスチナを繋ぐかけはしとなれれば...と思っていた。(略)しかし気づかされたのは、私も人間で感情があるということ、そして知識不足であるということだった。(略)悔しさがあったが、お互いの生の意見を聞けたこと、(略)私が彼らのことを理解しようとしたことは私にとって実りあるものだと思う。
■金子由佳
旅の途中、これは自分が言っても良いことなのか、相手に何と言えば良いのか、などわからずただ聞くことしかできなかったことが何度もあって悩んだ。彼らの苦痛を知らない私が言う資格はないのではと考えていたからだ。しかし、今まで想像でしかなかった彼らの置かれている状況をたった10日間だけだが、実際に経験できたのは、私にとって大きな収穫であったし進歩だった。
旅の途中、これは自分が言っても良いことなのか、相手に何と言えば良いのか、などわからずただ聞くことしかできなかったことが何度もあって悩んだ。彼らの苦痛を知らない私が言う資格はないのではと考えていたからだ。しかし、今まで想像でしかなかった彼らの置かれている状況をたった10日間だけだが、実際に経験できたのは、私にとって大きな収穫であったし進歩だった。
■田中紀恵
私の人生を大きく変えた出来事が二つある。一つは父の死。もう一つは今回のStudy Tour。(略)面接を受けたとき、自分の考えは正直なかった。でも変わりたい。部活生活では見ることが出来なかった、でも興味はあった、社会の一面を自分の目でみたい、その思いだけで飛び込んだ。平和を望み平和を考えながらも距離を置こうとしていたこれまでの自分から、脱皮できそうな気がする。そもそも「平和」とはどういう意味なのか。どういう状態をさすのか。そこに根ざす問題は結局、人間の問題に終局するのだと、旅を振り返って思う。
私の人生を大きく変えた出来事が二つある。一つは父の死。もう一つは今回のStudy Tour。(略)面接を受けたとき、自分の考えは正直なかった。でも変わりたい。部活生活では見ることが出来なかった、でも興味はあった、社会の一面を自分の目でみたい、その思いだけで飛び込んだ。平和を望み平和を考えながらも距離を置こうとしていたこれまでの自分から、脱皮できそうな気がする。そもそも「平和」とはどういう意味なのか。どういう状態をさすのか。そこに根ざす問題は結局、人間の問題に終局するのだと、旅を振り返って思う。
■木原真帆
応募時にはどちらかといえば学問的な興味の方が強く、平和に関して自分が主体的に考えるという意識が乏しかったことは事実です。しかし、現地の実情をひとつひとつ確認していく過程で、平和とは何かという問題を考えずにはいられなくなっていきました。 (中略) 紛争地としてのイメージが先行しがちなイスラエル、パレスチナで平和や対話に関心を持っている人間が多数いる事実を知った以上、平和とは何かという命題を真摯に考えなければいけないとも思っています。
応募時にはどちらかといえば学問的な興味の方が強く、平和に関して自分が主体的に考えるという意識が乏しかったことは事実です。しかし、現地の実情をひとつひとつ確認していく過程で、平和とは何かという問題を考えずにはいられなくなっていきました。 (中略) 紛争地としてのイメージが先行しがちなイスラエル、パレスチナで平和や対話に関心を持っている人間が多数いる事実を知った以上、平和とは何かという命題を真摯に考えなければいけないとも思っています。
■石岡舞衣
この旅を通して、実際に見て感じることの大切さを改めて実感した。私は4月から社会人として働いており、今後スタディツアーやプロジェクトへの参加は難しいと思う。しかし、この活動や現地の情報にはこれからもずっと注目していくと思うし、注目せざるをえないと思う。なぜなら、様々な人々に出会い、「イスラエル」や「パレスチナ」という言葉を聞いた時に彼らの顔が自然と浮かび、自然と聞き入るだろうから。(中略)多くの人に出会うことで以前までは無関心だった問題に思いをもつことができるようになった。
この旅を通して、実際に見て感じることの大切さを改めて実感した。私は4月から社会人として働いており、今後スタディツアーやプロジェクトへの参加は難しいと思う。しかし、この活動や現地の情報にはこれからもずっと注目していくと思うし、注目せざるをえないと思う。なぜなら、様々な人々に出会い、「イスラエル」や「パレスチナ」という言葉を聞いた時に彼らの顔が自然と浮かび、自然と聞き入るだろうから。(中略)多くの人に出会うことで以前までは無関心だった問題に思いをもつことができるようになった。
■松山萌
「平和への道を考える」という問いに対して改めて考えてみたい。いまこの国で問われていることは何であるだろうか。国籍、人種、宗教からくる「私」という人間の主張ではなく、「私」という血の通った一人の人間が、いま、目の前で起きているこの状況に「何を感じるか」ということではないだろうか。自爆テロや入植地といったwordの問題ではなく、一人の人間が突然殺される、一つの家族が突然住まいを追われる、こういった現状に「私」の良心が「何を感じるか」ではないだろうか。
「平和への道を考える」という問いに対して改めて考えてみたい。いまこの国で問われていることは何であるだろうか。国籍、人種、宗教からくる「私」という人間の主張ではなく、「私」という血の通った一人の人間が、いま、目の前で起きているこの状況に「何を感じるか」ということではないだろうか。自爆テロや入植地といったwordの問題ではなく、一人の人間が突然殺される、一つの家族が突然住まいを追われる、こういった現状に「私」の良心が「何を感じるか」ではないだろうか。
■上野龍太郎
平和というものを考える、そして実践するのならば俯瞰的にものを見ようとするより、しっかりと自分の足で立ち、自分の目線で相手を捉えることが重要だ。(略)その中身を書くのならば、「お友達になろう」である。(略)もっと言わせてもらうのならば「相手を見よう」となる。(略)相手を認めない私をいったいだれが認めてくれるのだろうか。認める、お友達になる。その為のファースト・ステップが「相手を見る」という行動なのだ。
平和というものを考える、そして実践するのならば俯瞰的にものを見ようとするより、しっかりと自分の足で立ち、自分の目線で相手を捉えることが重要だ。(略)その中身を書くのならば、「お友達になろう」である。(略)もっと言わせてもらうのならば「相手を見よう」となる。(略)相手を認めない私をいったいだれが認めてくれるのだろうか。認める、お友達になる。その為のファースト・ステップが「相手を見る」という行動なのだ。
■持田雄太郎
今回の旅で出会ったのは、たくさんの笑顔だ。(中略)自分は言う。この笑顔をなくしたくない。この笑顔が悲痛や怒りに歪むところを自分は見たくないし、ましてこれらの笑顔を永遠に見ることができなくなるようなことを自分は許さない。ここで初めて自分は当事者になれる。
自分にとって平和を考えるというのはこういうことなのであろう。他人の不幸を知るのではなく、他人の身になって考えるのでもない。友の笑顔、友の喜びといった「自分の」財産を大事に守ること。それを願う事。増やすこと。そこから出発すればいい。自分の平和探求の始点は、ここにある。
今回の旅で出会ったのは、たくさんの笑顔だ。(中略)自分は言う。この笑顔をなくしたくない。この笑顔が悲痛や怒りに歪むところを自分は見たくないし、ましてこれらの笑顔を永遠に見ることができなくなるようなことを自分は許さない。ここで初めて自分は当事者になれる。
自分にとって平和を考えるというのはこういうことなのであろう。他人の不幸を知るのではなく、他人の身になって考えるのでもない。友の笑顔、友の喜びといった「自分の」財産を大事に守ること。それを願う事。増やすこと。そこから出発すればいい。自分の平和探求の始点は、ここにある。
ここに記した旅の実りは、支援者の皆さまの支えによってもたらされました。ぼく自身2005年に「平和をつくる子ども交流プロジェクト」に参加して以来、皆さまの温かいお気持ちがぼくの心の中にやさしく流れ込んでくるのを感じています。
旅の参加者を代表して、皆さまのお心遣いに、心よりの御礼を申し上げます。
旅の参加者を代表して、皆さまのお心遣いに、心よりの御礼を申し上げます。
エフェタ学院訪問
磯部雅子(当会スタッフ)
「平和を願う対話の旅」のメンバーとともに、ベツレヘムにあるエフェタ学院を訪れる。生徒は幼稚園児から中学生まで。大きな窓。明るい校舎内。壁には子供たちの作品が並んでいる。生徒はみなパレスチナ人でイスラム教徒の家庭に育っている。輝くあどけない笑顔が一同を迎えてくれる。元気な子供たちの笑顔はいずこも同じ希望の源泉だ。ここにはただ一つ、他の学校と異なる点がある。廊下にも、教室にも、子供たちの声がしない。エフェタ学院に通うのは聴覚障害をもつ子供たちだった。
「アーアーアー」「バーバーバー」
若い女の先生――スピーチセラピスト――が、四才位の女の子の目を見つめ頭をなで、手をとり、時には優しく抱きながら、口元に注目させて発声を促している。
「アッアッアッ」「バッバッバッ」
女の子の指を自分の喉に当て、震えを感じさせている。次に女の子の喉に指を移して その表情の変化を読み取ろうとしている。自分では感じられない音を喉、舌、唇の動きで作り出して声にする――何と厳しい訓練だろう。幼い子はしかし、真剣に、従順に、先生の指示に応じて何度も繰り返している。たゆまぬ訓練の末、少しずつ音が、単語が、発せられるようになる。「サラーム」とにっこり挨拶してくれる生徒もいる。
教育里子をして写真で顔を知っていた、マイスという女の子に引き合わせてもらった。五才。灰色の瞳を見開いて緊張して私を見ている。セラピストは「マイスも少し話せます」と、あれこれ優しく促していたが、マイスは緊張がほぐれぬようだった。「今日は調子が出ませんね。はにかんでいます」と残念そう。
「大丈夫です。会えてよかったです。ありがとう」と、マイスの小さな手を握った。
あとでその先生と話した。
「マイスは発生訓練が辛いのでしょうか。自分には聞こえない声を出す、というのは、何かむごいように思われますが。」「そんなことはありません。この訓練は本人が望まなければしません。どの子にも無理強いすることはないのです。」「この学校で、手話は使わないのですか?」「手話は教えません。読唇法を学ばせています。正面から、目を見て、ゆっくり、はっきり話せばわかります。」
「子供同士でも?」「子供たちは自分たちだけの手話をもっていて、それで交流しています」
「なるほど。先生方も、子供たちの手話を学んだり使ったりしますか?」「しません」
「日本の公立のろう学校でも、普通手話は教えていません。でも、以前から、学校でも手話で勉強したり遊んだりしたいという要請があって、最近、手話で授業もする私立のろう学校ができました。私はとてもよかったと思っています。日本では、手話を習って、ろうの方と交流したり、学んだり、ボランティアをする人も少なくないのですが、こちらでは?」「子供たちの家庭でも地域社会でも、障害があることを受け入れるのはとても難しいのです。」
「ああ、なるほど、『エフェタ』――『開け』というのは、むしろ両親や地域社会に向けられた言葉でもあるのですね。」「そうです。」
2000年前、イエスが耳の聞こえぬ人の両耳に指をさし入れ「エフェタ」というと、その人は聞こえるようになった。私も日々、イエスの「エフェタ」を聞き、自分の都合でひとりでに閉じてしまう心の耳を開いていただこう。
「平和を願う対話の旅」のメンバーとともに、ベツレヘムにあるエフェタ学院を訪れる。生徒は幼稚園児から中学生まで。大きな窓。明るい校舎内。壁には子供たちの作品が並んでいる。生徒はみなパレスチナ人でイスラム教徒の家庭に育っている。輝くあどけない笑顔が一同を迎えてくれる。元気な子供たちの笑顔はいずこも同じ希望の源泉だ。ここにはただ一つ、他の学校と異なる点がある。廊下にも、教室にも、子供たちの声がしない。エフェタ学院に通うのは聴覚障害をもつ子供たちだった。
「アーアーアー」「バーバーバー」
若い女の先生――スピーチセラピスト――が、四才位の女の子の目を見つめ頭をなで、手をとり、時には優しく抱きながら、口元に注目させて発声を促している。
「アッアッアッ」「バッバッバッ」
女の子の指を自分の喉に当て、震えを感じさせている。次に女の子の喉に指を移して その表情の変化を読み取ろうとしている。自分では感じられない音を喉、舌、唇の動きで作り出して声にする――何と厳しい訓練だろう。幼い子はしかし、真剣に、従順に、先生の指示に応じて何度も繰り返している。たゆまぬ訓練の末、少しずつ音が、単語が、発せられるようになる。「サラーム」とにっこり挨拶してくれる生徒もいる。
教育里子をして写真で顔を知っていた、マイスという女の子に引き合わせてもらった。五才。灰色の瞳を見開いて緊張して私を見ている。セラピストは「マイスも少し話せます」と、あれこれ優しく促していたが、マイスは緊張がほぐれぬようだった。「今日は調子が出ませんね。はにかんでいます」と残念そう。
「大丈夫です。会えてよかったです。ありがとう」と、マイスの小さな手を握った。
あとでその先生と話した。
「マイスは発生訓練が辛いのでしょうか。自分には聞こえない声を出す、というのは、何かむごいように思われますが。」「そんなことはありません。この訓練は本人が望まなければしません。どの子にも無理強いすることはないのです。」「この学校で、手話は使わないのですか?」「手話は教えません。読唇法を学ばせています。正面から、目を見て、ゆっくり、はっきり話せばわかります。」
「子供同士でも?」「子供たちは自分たちだけの手話をもっていて、それで交流しています」
「なるほど。先生方も、子供たちの手話を学んだり使ったりしますか?」「しません」
「日本の公立のろう学校でも、普通手話は教えていません。でも、以前から、学校でも手話で勉強したり遊んだりしたいという要請があって、最近、手話で授業もする私立のろう学校ができました。私はとてもよかったと思っています。日本では、手話を習って、ろうの方と交流したり、学んだり、ボランティアをする人も少なくないのですが、こちらでは?」「子供たちの家庭でも地域社会でも、障害があることを受け入れるのはとても難しいのです。」
「ああ、なるほど、『エフェタ』――『開け』というのは、むしろ両親や地域社会に向けられた言葉でもあるのですね。」「そうです。」
2000年前、イエスが耳の聞こえぬ人の両耳に指をさし入れ「エフェタ」というと、その人は聞こえるようになった。私も日々、イエスの「エフェタ」を聞き、自分の都合でひとりでに閉じてしまう心の耳を開いていただこう。
イスラエル軍法規の変更につながった人権グループの成果
皆様
人権グループが勝ち得たすばらしい成果を分かち合いたいと思います。
パレスチナ一般市民の死亡に際し、より明確な検証を義務づけるというイスラエル軍の方針の変更についてです。
B'Tselemの働きに関心をもたれる皆様には、この検証が最優先項目であったことはご承知の通りです。実際、この検証は世界中のヒューマン・ライツ(人権)団体の中心課題でもあります。人権侵犯があるのに、その検証がなされなければ何が人権の意味でしょうか。基本的人権の根本、生命の権利となればなおさらのことです。
残念ながら2000年以来、イスラエル軍に殺されるパレスチナ人についての検証は規則というより除外条項でした。問題のきっかけは2000年秋に決められた新しい軍規で、「不正行為の明白な証拠があるケースのみ検証を行う」とされたことですが、一体、検証なしでそのような証拠をあげられるものでしょうか。
B'Tselemではこの軍規の改正を焦眉の課題とし、変更を目指して全力を注いできました。個々のケースを取材し、300件の調査を要請しました。検証に関わる、より広範囲の軍規を精査しましたが、これは法的支援、軍との直接契約、広報、国際支援のための基礎資料ともなりました。
嬉しいご報告があります。先週、軍からくだんの法規の変更が発表されたことです。今後、軍警察は西岸地区で戦闘要員でないパレスチナ人が犠牲になった時は、全ケースにつき自動的に検証を行うというものでした。もちろん、検証を公にさせることは最初のハードルにすぎず、その検証が効力を持つことが必要です。効果的検証はそれ自体、「正義の回復、人権侵害の犠牲者救済、将来の侵犯防止」という、より大きな目標につながります。まだまだ課題は山積しています。しかし、私たちは最初のハードルを越えることができました。これは意義深い成果です。
法規変更に関わる全容を把握することはいつも困難で、今回も例外ではありません。しかしながら、B'Tselemとその他の多くの人権グループの活動が重要な役目を果たしたことは間違いありません。
私たちの働きにおいて挫折の経験は数多く、また、人権のための闘いに妨害は付き物です。一見望みのないことに敢えて立ち向かうこともしばしばです。しかし、時に、私たちの働きが大きな実りを結ぶ時もあります。この度の軍規改正の実現に協力したすべての人々、イスラエル人、パレスチナ人、海外の協働グループ、そして特に、最高裁判所への申し立てにおけるパートナーであるイスラエル人権協会の人々、更にまた、経済的支援者、外交官、学者、法律専門家に心から感謝いたします。
今後もさらなる協力のもとに数々の難題を乗りこえ、共有するヴィジョンの実現に向けて、共に歩むことを期待しております。
人権グループが勝ち得たすばらしい成果を分かち合いたいと思います。
パレスチナ一般市民の死亡に際し、より明確な検証を義務づけるというイスラエル軍の方針の変更についてです。
B'Tselemの働きに関心をもたれる皆様には、この検証が最優先項目であったことはご承知の通りです。実際、この検証は世界中のヒューマン・ライツ(人権)団体の中心課題でもあります。人権侵犯があるのに、その検証がなされなければ何が人権の意味でしょうか。基本的人権の根本、生命の権利となればなおさらのことです。
残念ながら2000年以来、イスラエル軍に殺されるパレスチナ人についての検証は規則というより除外条項でした。問題のきっかけは2000年秋に決められた新しい軍規で、「不正行為の明白な証拠があるケースのみ検証を行う」とされたことですが、一体、検証なしでそのような証拠をあげられるものでしょうか。
B'Tselemではこの軍規の改正を焦眉の課題とし、変更を目指して全力を注いできました。個々のケースを取材し、300件の調査を要請しました。検証に関わる、より広範囲の軍規を精査しましたが、これは法的支援、軍との直接契約、広報、国際支援のための基礎資料ともなりました。
嬉しいご報告があります。先週、軍からくだんの法規の変更が発表されたことです。今後、軍警察は西岸地区で戦闘要員でないパレスチナ人が犠牲になった時は、全ケースにつき自動的に検証を行うというものでした。もちろん、検証を公にさせることは最初のハードルにすぎず、その検証が効力を持つことが必要です。効果的検証はそれ自体、「正義の回復、人権侵害の犠牲者救済、将来の侵犯防止」という、より大きな目標につながります。まだまだ課題は山積しています。しかし、私たちは最初のハードルを越えることができました。これは意義深い成果です。
法規変更に関わる全容を把握することはいつも困難で、今回も例外ではありません。しかしながら、B'Tselemとその他の多くの人権グループの活動が重要な役目を果たしたことは間違いありません。
私たちの働きにおいて挫折の経験は数多く、また、人権のための闘いに妨害は付き物です。一見望みのないことに敢えて立ち向かうこともしばしばです。しかし、時に、私たちの働きが大きな実りを結ぶ時もあります。この度の軍規改正の実現に協力したすべての人々、イスラエル人、パレスチナ人、海外の協働グループ、そして特に、最高裁判所への申し立てにおけるパートナーであるイスラエル人権協会の人々、更にまた、経済的支援者、外交官、学者、法律専門家に心から感謝いたします。
今後もさらなる協力のもとに数々の難題を乗りこえ、共有するヴィジョンの実現に向けて、共に歩むことを期待しております。
敬具
常務理事 ジェシカ・モンテル
常務理事 ジェシカ・モンテル
※編集部注
B'Tselem は、1989年に設立されたイスラエルの人権団体で、パレスチナ占領区における人権侵害を告発し、イスラエルにおける人権尊重の世論形成に貢献している。
団体名の直訳は「かたどって」、人間の尊厳を意味しており、創世記1,27「神はご自分にかたどって人を創造された」から来る。
B'Tselem は、1989年に設立されたイスラエルの人権団体で、パレスチナ占領区における人権侵害を告発し、イスラエルにおける人権尊重の世論形成に貢献している。
団体名の直訳は「かたどって」、人間の尊厳を意味しており、創世記1,27「神はご自分にかたどって人を創造された」から来る。
フォトアルバム
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